今回のタイトルはかなり長いのですが、本題に入る前に、気づいた大切なこと。それは「4つの教訓」という中に数字があることです。ただ単に「ベジタリアンをやめて分かった教訓とは?」だったら、フンフンと読み飛ばしてしまいそうですが、「4つの」とあるので、その4つって何なんだろうと気になってしまいます。これは結構なテクニックかもしれない。どこかで使えるゾ、と言っても、どこで使うのか差し当たり思いつくものはありませんが、このような手法を意識して使っているライターもいるかも知れないな、と感じ入ってしまいました。

さて本題ですが、ある外国の作家がベジタリアンになったのですが、体調不良に陥り、そしてまた肉食生活に戻ってしまった時の経験で得た教訓の話です。「Gigazine」というサイトに掲載されていました。気になる「4つの教訓」とは、➊何を差し置いても自分の体に耳を傾けること、❷理想から外れた自分を許すこと、❸自分に合っていると感じられる選択を信じること、❹世界は白黒はっきりしているわけではないということ、だそうです。何やら抽象的てはっきりしませんが、ひとつひとつをじっくり考えてみると、見えてくるものがあります。サイトにも詳しい説明が記述されていました。
それはさておき、ずいぶん長い間、ベジタリアンになる人の理由は、肉食は健康に悪いので、体の健康のためにベジタリアンになったと思っていたのですが、そうではなく、動物を殺すことの残虐性に抵抗して、ベジタリアンの道を選んでいる人が圧倒的に多いということを、図らずも最近知った次第です。もっとも、この「4つの教訓」の作家の人は、畜産業が大量の飼料作物を必要とすることや、ウシやヤギといった反すう動物の家畜は温室効果ガスであるメタンを発生させることなどから、「気候変動を食い止めるには肉や乳製品を食べるのをやめることが不可欠」という理由から、ベジタリアンになったようです。ところが、ベジタリアンはそうでない人に比べて、脳卒中のリスクが20%も高く、精神的な問題を抱える可能性も高いなど、健康面でのリスクが高い、という指摘もあり、自身も体調不良になって、肉食生活に戻ってしまったようです。
それなら「精進料理」はどうなってしまうのか。今でこそお寺の住職さんなどは、焼肉や回転寿司で肉や魚を食べて舌鼓を打っていても、誰もそれを咎めないでしょうし、そんな厳しい世の中でもありませんが、昔は仏門に入ったら、美食を戒めて粗食をし、精神修養をする、というのが習わしだった筈です。今でもそういうお坊様はたくさんいると思いますが、「精進料理」は、肉はおろか魚もダメ、カツオ節のだしもダメで、いったい体調どうなるんでしょうか。隠れて肉食しているのだろと勘繰る人もいるかもしれませんが、いやいや自分に厳しいお坊様はたくさんいると思います。
ただ、肉や魚はダメで野菜ならと言っても、以前からの研究で、植物も痛みを感じる痛覚があるという研究結果もあります。そうなると殺傷の残虐性から考えれば、野菜さえ食べられなくなってしまいます。まさに八方ふさがりです。

最近はあまり名前を聞きませんが、ノーベル平和賞をとった人で、シュバイツアー博士という人がいて、記憶違いでなければ、その人は、動物の殺傷を許さず肉食をやめ、それを突き詰めていけば、植物も食べられなくなって、人間は餓死するしかない、ということを言っていたような気がします。
餓死するくらいなら何でも食べちゃいます。体調悪くなるくらいなら、肉でも魚でも食べちゃいます。これが人間の本能。自分の体に耳を傾け、理想から外れた自分を許し、自分に合っていると感じられる選択を信じ、そして、世界は白黒はっきりしているわけではない、です。
そして何よりも、色々な料理を作る喜びを奪われることが、いちばん辛い。
By 料理パパ3号
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