このタイプの炎上ネタは、もはや定期的に勃発するすることは必定。今度はナニ? と楽しみに待つようになってしまいました。そして、今度はおでん。テレビ番組で、あるコメンテーターが、「僕はおでんはチャチャチャっと作れちゃうんで、いつもの晩ごはんに比べて今日は忙しかったんだなって思う、〇〇家においてはですよ」「まぁ、そんなに手が込んだ…とは思えないですね。もう、切って入れるくらいの感覚なんで。またこんなこと言うと、『おでん舐めんな!』って人はいるでしょうけど、僕の感覚としてはそうです」と発言。この人の言っているとおり、ネット上では「既製品を温めるだけなのか?」「大根の面取りやこんにゃくの下茹で、ゆで卵を作ったり、チャチャチャっとなんて絶対作れないよ」などと、ハイ、炎上。そもそも「〇〇家においてはですよ」と言って、自分の家の話ですよとことわりを入れ、最初から逃げ道を作っての発言なので、話題作りの炎上商法、確信犯です。
しかし、おでんが、「切って入れるくらいの感覚」と言うなら、ほとんどの煮込み料理は、手抜き料理になってしまう。これは、どこか根本的に考え方が間違っているのではないだろうか。

ポテトサラダや餃子と違って、おでんは、作る過程においていくらでも手を抜くことができます。つまり、「おでん」という料理が手抜き料理なのではなく、手抜きをしても「おでん」を作ることができるということ。そして丁寧に下準備をして、手の込んだ具材を用意すれば「おでん」は立派な料理として君臨できます。そうでなければ、おでん屋の名店などという料理屋は存在しない筈です。
手抜き手抜きというけれど、どこからどこまでが手抜きなのか。こう考えて気付いたのが、ダシの存在。昔は昆布とカツオ節でダシを取り、醤油・酒・みりんで味を整え、具材を下処理してじっくり煮込む。要するに味の決め手はダシにあるのです。ところが、いつのころからか、ダシの素なるものが出始め、一番手間のかかる調理過程なのに、サッと一振りでアッとという間にできちゃった。これを手抜きと言わずして何を手抜きというのか。だけど美味しいんです。手抜きと言われようが何と言われようが、美味しいんです。いつの間にか煮物料理はダシの素のお世話になり、多くの家庭で当たり前のように普及しています。
以前、ダシの素で「肉じゃが」を作った時のこと。食べた人はみんな美味しいと言ってくれました。自分で食べても凄く美味しかったので、お世辞ではありません。文句なく美味しいのです。そしてしばらくして、昆布・カツオ節でダシを取り作った「肉じゃが」を作ってみました。これも美味しい。しかし、ちょっと違う美味しさです。だしの素の「肉じゃが」のようにハデな美味しさではなく、何とも言えない味わいがあります。じゃがいもにしみ込んだダシのせいか、奥深い味わい、薄っすらそのようなものを感じます。

これをどう表現すればいいのだろう。人間でいえば、周りからもてはやされる美男美女。いかにも美しい顔立ち。惚れ惚れするような絶世の何とか。ところが中には整形で作り上げた美男美女もいます。美しいけれども、美しいだけ。そこから感じるのは、何か表面的な美しさ。ダシの素の「肉じゃが」です。たとえ美男美女でなくても、その人間には、生まれてからこれまで生きてきた、ありのままの姿の美しさがある筈。若くても年老いても、それまでの人生経験で培ってきたものが、自然に感じさせられます。
料理も同じ。手を抜けば手を抜いたなりの料理。丁寧に丹念に作れば、たとえ失敗しても、どこかに味わい深いものが残り、次へと繋がっていく。そしてやがては完成品に。その気持ちは忘れたくないけれど、忙しい時には多少の手抜きはしょうがないか。これも人情。
By 料理パパ3号
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